2013年12月25日

2013年を振り返る。

 たまには、一年を振り返ってみようかと思います。
 今年はなにより、『詩と思想』現代詩の新鋭に選ばれるというありがたいことがありました。20年詩作しているので新鋭というのも変な感じですが、新しいスタートなのだととらえました。
 またこのブログで発表している「無責任」の年間号と別冊を出すことができました。真面目か不真面目かわからない作品も多いですが、「ことばで何が表現できるか」が常にテーマになっていると思います。浮島さん、お付き合いいただきありがとうございます。
 あとは、福岡ポエトリーにお邪魔して、初めてポエトリーリーディングを行いました。書くのと読むのではまったく異なりますが、どちらも詩を紡ぎだすことに変わりはないのだと実感しました。福ポエの皆様、お世話になりました。
 来年も変わらぬ感じでやっていこうと思いますが、詩の方はパワーアップしていきたいですね。皆様今年一年ありがとうございました。そして来年も、よろしくお願いいたします。
posted by rakuha at 13:11| Comment(0) | TrackBack(0) | ★雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月01日

『ASATU』発売

 web詩集『ASATU』を発売しました。こちらから購入できます。315円(税込)です。

 このブログやパブーで発表したものに新作を加え、写真も提供していただきました。

「あなたを裏切れる
あなたを消し去れる
そんな強さが欲しい
それだけの砂漠紀行」

よろしくお願いいたします。
 
posted by rakuha at 19:25| Comment(0) | TrackBack(0) | ★雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月10日

第2回福岡ポエイチに参加

 お久しぶりです、滅多にない雑記です。
 福岡で行われた第2回ポエイチの二日目、今年は出展者として参加してきました。
 私は浮島さんと「無責任.zone」という同人をしているのですが、そこで作った将棋文芸誌『紙の駒.zone』を売らせていただきました。
 多くの方と交流できてよかったのですが、悔やまれるのは自分の詩集がないことでした。そんなわけで手作りの詩集でもいいので作らねば、と思った次第です。
 主催者の皆様は本当に頑張っていて、事前のネットにおける宣伝の段階からとても力が入っているのがわかりました。多くの方に文芸が届けられるよう、私もできることを頑張っていこうと思います。
posted by rakuha at 19:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ★雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月11日

ポエイチに行ってきました

 6月10日日曜日、福岡で開催された「ポエイチ」という同人誌即売のイベントに行ってきました。

 ……とまあ、久々に雑記です。清水らくはと申します。

 詩を書き続けて20年近くになりますが、私は詩人の方と会ったことがありません。ほとんど詩人の名前も知りません。さらに人見知りです(大変)。ブースを一回りしてどうしていいかわからず見本誌を読んでいたところ主催者の方に声をかけていただき、いろいろな片を紹介していただくことまでできました。ありがとうございます。

 イベント自体初めてで、見るものすべてが新鮮でした。気になった本を一冊購入もしました。ゆっくり読みます。

 交流会にまで誘っていただき、男四人でディープなゾーンを作っていると言われました。光栄です。(あ、たまに間違われますがらくはは男です)

 下手をすればキャナルシティで買い物三昧になるところを、優しい方々と温かい雰囲気のおかげで長時間言葉たちと触れ合うことができました。いずれ出展する側にも回ってみたいです。

 また、福岡でこのようなイベントを開催することができたのは、主催者の方々の熱意と努力によると思います。感謝感謝、そしてお疲れ様でした。
posted by rakuha at 23:39| Comment(2) | TrackBack(0) | ★雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月13日

小学生時の作品


 詩を意識的に書き始めたのは中学生になってからでしたが、小学生の時にも授業で書いていました。

 その頃の作品を見つけたので。

「二月

二月は、
プロ野球もやっていないし、
大ずもうもやってないし
外は寒いし
二月は
一月の次だけど
二月は
三月の前だけど
冬の中の一月なんだし
こたつがまだしまえない
二月は
もうすぐ来るけれど
あまり来てほしいと思えない

せつぶん豆も少しでいいし
少しの雪ならふらなくていい
あんまり来てほしいと思わない」

「歩道

道があって両はしに歩道があって
その横に木が生えている
習字にいくとき自転車に乗って
そこをゆっくりはしっていると
カサッ
落ち葉をふむ音
このこの歩道には一年中落ち葉があって
それをわざわざよけながら行く時は
遊びたい時
はやく帰って何かしよう
と、急いでいる時ほど多くの音を聞く
冬の音とも言えない
落ち葉の悲鳴は
落ち葉がくずれさると
この歩道にくずれた落ち葉が
迷っているよう

もうすぐ
この道の側に生えている木に
新しい葉がつくだろうけど
それももうすぐ
この歩道を迷うようになるんだろうな」

 いかにも小学生、という感じでしょうか。ただ、やっぱりちょっと変かな。
posted by rakuha at 15:06| Comment(0) | TrackBack(0) | ★雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月16日

『盤上の海、詩の宇宙』感想

 読み始めてまず思ったことが、ああ、自分は損をしているな、ということだった。私は詩にも将棋にも興味があので、詩と将棋の世界に深みがあることをある程度知っている。だから、詩人と棋士が語り合う場合に、ある程度の深みを期待してしまう。もしどちらにも興味がなければ、その果てしない深遠さに心は震え続けたかもしれないのに。
 読み進めていくうちに気付いたのは、二人の内に他者というものが生々しくは登場しないことだった。もちろん、他者を無視しているわけでもなければ、軽視しているのでもない。どんどんと読んでいくと、それは羨望や嫉妬といった、異質な者に対する隠したいような感情が存在しないためだと分かった。さらには、自身に対しても卑下するようなところが少ない。吉増も羽生も、誰かの持っているものを欲しがるのではなく、自らの持つもので世界を深めようとしている。それだけではない。二人は世界を自らの内側に抱え込むかのようである。しかしそれは自らの内面に向かうことでもある。世界の側に自らを溶け出させながら、しっかりと輪郭を保つといった、なんとも不思議な構造が見て取れた。
 羽生は、勝負の世界に居ながら「勝ちたい」といった類のことを一切話さない。求めるのは結果というよりは過程、世界との関わり方であるように思えた。思えば羽生は、不利な終盤でも当たり前のように深く謎めいた手で逆転劇を演じてきた。もし自らに執着し、勝負に美学を持っていればそうはならなかったのではないか。ある人は勝ちにこだわり、泥臭い手、間違えを期待した手もいとわない。ある人は美しい棋譜にこだわり、みじめに粘ることをせず不利な局面を持って負けを認める。しかし羽生は、流れだけではなく目の前の局面にも世界を見てとり、最善の道を探すことができる。俗に「羽生マジック」と呼ばれる逆転劇は、羽生が羽生自身に誇りを持たないが故にもたらされるのではないか、などと思った。
 吉増もまた、誰かに追い付こうとする意志を見せない。私は感動する作品を読んだとき、幸福に感じるだけではなく、悔しいと思う。努力や経験でたどり着けない物を持っている人の幸運に、激しく嫉妬する。しかし吉増は、自らの世界の中で、自らの試みについて語り続ける。他者が出てくるときは、その人の世界を純粋に受け入れようとしているときだ。自らの内での深み、言葉との対峙、そういったものを明るく意識しようとしている。それに呼応して、羽生も自らの感覚をより鮮明にして伝えようとしている。
 世界を受け容れる、対峙する、などといったことは、理想としてしまった時点で陳腐なものになりかねない。羽生や吉増を理想としても、多くの人には得るものがないだろう。ただ、世界とそのように関わることが可能だという事実、それを知ることができたのが大きい。苦悩を含む世界との関わり合いの中で、どこかにたどり着こうとする二人。その対話が万人に公開されているということは、非常にありがたいことである。
posted by rakuha at 03:48| Comment(0) | TrackBack(0) | ★雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月19日

ボーカロイドと詩作


 このような無機質なブログをご覧いただいている皆様、本当にありがとうございます。地道にほぼ詩だけを載せてきましたが、おかげさまで予想以上のアクセス数で、モチベーションにつながっています。時折雑誌への投稿作が載ることもあり、なんとか「詩人修行中」という気分を味わっております。
 中学生の時から特に何も考えず詩作してきましたが、大人になると詩に対する考え方も変わってきます。「なぜ詩を書いているんだろう」と思うこともありますし、「昔の詩の方が良かったなあ」と思うことも。またプロの方のすごい詩を目の当たりにして、「あまりにも遠すぎる!」と絶望することもあります。
 そんな私が最近勇気をもらうのは、ボーカロイド作品です。ボーカロイドというのは簡単に言えば歌手の代わりに歌を歌ってくれるパソコンのツールで、動画投稿サイトなどで公開され多くの視聴者に愛されています。中にはプロの方もいますが、ほとんどの作品がアマチュアの方によって作られています。同じアマチュアの創作者として、ボーカロイドに関わる人たちの熱意というのは非常に尊敬できるものです。動画投稿サイトでは再生数やマイリスト数によってはっきりと評価が目に見えてくるので、リスナーの評価がよくわかります。時にはひどいコメントもあります。そんな中でプロを目指す人もそうでない人も、より良いものを創ろう、楽しんでもらおうと努力や工夫をしています。
 ボーカロイドという歌い手と、動画投稿サイトという場をを手に入れたことにより、多くの人がリスナーと密接にかかわり合うことができるようになりました。私はそれを羨ましいと思うこともありました。しかし考えてみれば、詩作においては、「言葉」は最初から平等に与えられていたのです。私が書いたものを、私がそのまま発表して読んでもらえる。詩書きの幸福というものを、実感するようになりました。
 時に、魂を鷲掴みにされるようなボーカロイド作品に出会うことがあります。私はそれに対し再生数とたった一つのマイリスト数、他愛のないコメントしか返す事ができません。そして、私自身がそういう詩を書ければ、と思うのです。私には美しいものは書けません。それでも自分にしか表現できない、残酷で儚い詩を届けられれば、と思って詩作を続けています。
 「ボーカロイドなんて」と敬遠する皆さん、損をしているかもしれません。創作者たちは皆、本気で作品を届けたがっています。本気の作品はどんなものでも、心に響く可能性を秘めています。

猫
posted by rakuha at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ★雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月01日

★私は何詩人だろう?

 本日発売の『詩と思想』にて、私の詩「探し物」が読者投稿作品として載りました。
 約三年ぶりに詩が活字になりました。感想としては「本当に長かった……」ようやく入選した詩学が倒産。投稿誌を移したものの佳作にもならず。正直駄目かと思いましたが、『詩と思想』にも挑戦してみることを決め、何とか名前も載るようになり、今回ようやく、ということです。

 ちょうど「web詩人特集」だったのですが、そこで衝撃を受けました。何というか……「ああ、そこにも自分は入っていない」と感じたのです。私は基本的にはmixiのコミュで発表した詩を、このブログに後日載せています。私にとって、たまにある足跡や、ブログの閲覧数が心の支えです。しかし特集に書かれていたのは、もっとハードヒットというか、評価が具体的に表れるサイトのものでした。ブログについても触れられていましたが、SNSの中で詩書きたちが緩くつながり合うといった、現代の特徴の一つであろうことはあまり考慮に入れられていなかった気がします。
 ポエムに過ぎないという揶揄についても初めて知ったのですが、いわんとすることは分かります。SNSやブログから生まれるものが、現代詩にはなかなか届かない、そもそも現代詩を想定していないということでしょう。そしてそう感じられていることが分かったからこそ、私は雑誌に投稿するのです。挑戦すれば、現代詩も書ける。それを証明しなければ、詩を書く若い人たちが今後止まり木を失ってしまうと思ったのです。ネットでポエムと呼ばれるものを書いている人だって、ただ挑戦を躊躇っているだけかもしれません。その人に「私は大丈夫だったよ」と言ってあげたいのです。

 雑誌に載ることを目指すことで、自分の表現の幅も広がったと思います。敗北を続けた二年ほども、腐ってはいませんでした。それは、このブログを見てもらえばわかると思います。決してうまくもないし、感動もさせられないし、また若くもありません。けれども、私のような詩を書く人には、まだ出会ったことがない、それを励みにして書き続けています。

 長く語ってしまいましたが、今後も黙々と書き続けます。今回、私の詩を見つけてくれた選者の方には大変感謝しています。『詩と思想』は、選評がとてもわかりやすいので、今後どれだけ落ち続けても納得できると思います。このブログを見てくれる皆さんも、本当にありがとうございます。ひねくれた詩ばかりですが、今後も精一杯ひねくれたいと思います。

posted by rakuha at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | ★雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月02日

★恋を殺す時計

過去作品の中から、恋に関する詩をまとめてweb詩集にしました。
「恋を殺す時計」よろしければご覧ください。
http://rakuha.koiwazurai.com/
posted by rakuha at 01:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ★雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月04日

★「詩を書く人」

 某SNSで似た名前のコミュニティに入っており、そこで発表したものを主にこのブログに乗せています。

 そのコミュの名前が僕は好きです。「詩を書く」というのは書く人にとっては自然なことで、「詩人になる」や「詩を読んでもらう」だとちょっと堅苦しいとも思うのです。

 詳しいことはわかりませんが、現在詩を書くだけで生計を成り立たせている人はごくわずからしく、「詩人になる」というのが具体的にどういうことなのかもわかりにくくなっていると思います。それでも詩を書く人はたくさんいます。ネット上にもあふれかえっています。

 この詩へのエネルギーが「詩を読む人」にもっとうまく伝わればな、と思います。

 まあまとまりのない文章ですが……とにかく「詩を書く人」として、もっとなんかできることはないかなあ、ともやもやしているのです。

猫
posted by rakuha at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ★雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月18日

「詩学」に対する思い

廃刊から時間がたっていますが、「詩学社」というキーワードでこのページをご覧になってくれる方も多いようです。と思っていたら、『詩と思想』で特集があったんですね。もう手に入れられないようで残念です。

検索で上位になってしまい申し訳ないですが、私は「詩学」の一読者・投稿者でしかありませんでした。なので以前書いたものはただの感想でした。

詩学については、一度投稿が載り、今のところ唯一文芸作品が活字になったものとしての感慨があります。投稿する以前から購入することがあり、私にとって唯一現代詩と接する場でもありました。

私は他の詩人との交流もなく、詩集を買うこともめったにありません。このブログで発表しているものも、「現代詩」からかけ離れていることは自覚しています。ですが、現代詩のフィールドで勝負することにも意義を見出しています。先人が築きあげてきたものを引き継ぐのも、表現者の役目ではないかと思います。

『詩学』がなくなっても詩人はいますし、詩は生まれています。けれどもこの流れが続いていくと、そもそも詩を「買う」必要があるのか、というところにたどりつかないかと心配しています。統計を取ることはできないでしょうが、今、「詩を買う人」は「詩を書く人」とほとんど重なっているのではないか、と思うのです。詩集が一般の話題に上ることはあるでしょうか。詩を読みたいと誰かが衝動に駆られ、書店に探しに行くことはどれほどあるでしょうか。

詩人のためには詩を書かない、という決意はそういうところから出てきたものです。もし、歌舞伎をする人しか歌舞伎を見なくなったら。もし、シンクロをする人にしかシンクロの良さが伝わらなかったら。そう考えてみて、もし、詩人にしか詩の良さが伝わらなくなれば、とても恐ろしいことだ、と思いました。

詩の雑誌が減ることで、「詩人のための詩」の傾向は強まっていくのではないか、と心配しています。「ある雑誌」に載ることが詩人の条件だということになれば、なんと恐ろしいことだろう、と思います。

私はまだ詩を依頼れたことがない、ただの詩の好きな人です。ですので、詩人の方々とはまったく異なるとらえ方をしているかもしれません。しかし詩学の廃刊は、日本における詩の在り方について考えさせられることではなかったのだろうか、私のブログが埋もれてしまうぐらいに皆そのことについて触れてもいいのではないか、と思っています。

見当外れのことかもしれません。ですが、見に来られる方がいる以上、しっかりと書いておかねばならないと思いました。
posted by rakuha at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ★雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月15日

★詩学社の援助について

 私が毎月投稿している雑誌、「詩学」が危機のようです。
 去年あたりから店頭に並んでおらず、また発売しない月もあるため心配していました。
 今、詩を書く人は多く、ネット上に詩は溢れかえっています。しかし当事者の私が言うのもなんですが、それはただの垂れ流しです。いいものもだめなものも、等質のスペースを確保してしまいます。
 詩が芸術として輝くためには、吟味された末に上質の詩が提供される、雑誌という媒体が必要なのです。
 詩学社を救うすべは、僕ははっきりとはわかりません。厳しい言い方をすれば、当事者の営業努力の結果です。けれども大切なものを失うとというときに、製作者を批判するのは建設的ではありません。
 バックナンバーは多く残っているようです。資本はあるのです。

 どれだけの人がこのページを見ているのかもわかりません。けれども私はできることを、自分の言葉で伝えていきたいと思います。芸術を支援するには、今のところお金を出すしかありません。
 詩学社のバックナンバーは、こちらです。

 この対処療法が利くかはわかりません。しかしもし詩学が復活できたならば、今度は私たち読者も含めてその存続について真剣に取り組んでいかねばならないでしょう。
 私が自分に言い聞かせている言葉があります。
「詩人は、詩人のために詩を書いてはいけない」
 詩を、どこまで伝えられるか。それが、問われていると思います。

猫
posted by rakuha at 22:38| Comment(2) | TrackBack(2) | ★雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月02日

★いまさら、自己紹介

 ひたすら詩ばかり載せてきて、名前さえないのに気づきました。rakuhaと申します。

 詩を書き始めて十年以上になりますが、最近ようやく書きたいものがわかってきた気がします。雑誌の投稿に載ることもでき、スタートラインにつくこともできた気がします。

 このブログに載せているのは洗練されていない、ありのままの私の詩です。私のポリシーは、「詩人のためには詩を書かない」です。これまでの経験から、詩人として認められるには詩人の好きそうな詩を書くことだとわかりました。けれどもそれは、人の心には響かない、技術だけの詩を生み出してしまいます。私は時にポリシーを曲げることによって、受賞することもあります。けれども本質的なことを忘れないように、こうしてありのままの作品を載せていきたいのです。

 「偏執的」それが私の作品のコンセプトです。決して美しくはないし、強くもありません。けれどもこれからも私だけの詩をつむぎだしていきますので、お暇があればごらんください。
posted by rakuha at 10:36| Comment(0) | TrackBack(0) | ★雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月08日

★詩集公開の宣伝

現在アルファポリスと言うところで詩集「ASATU」を公開しています。
こちらからどうぞ

また、メールマガジンも発行しています。

こういうのをばんばん宣伝していくのが苦手な性質なので、せめてここを見ている方々、よろしくお願いします。猫
posted by rakuha at 11:01| Comment(1) | TrackBack(0) | ★雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする