廃刊から時間がたっていますが、「詩学社」というキーワードでこのページをご覧になってくれる方も多いようです。と思っていたら、『詩と思想』で特集があったんですね。もう手に入れられないようで残念です。
検索で上位になってしまい申し訳ないですが、私は「詩学」の一読者・投稿者でしかありませんでした。なので以前書いたものはただの感想でした。
詩学については、一度投稿が載り、今のところ唯一文芸作品が活字になったものとしての感慨があります。投稿する以前から購入することがあり、私にとって唯一現代詩と接する場でもありました。
私は他の詩人との交流もなく、詩集を買うこともめったにありません。このブログで発表しているものも、「現代詩」からかけ離れていることは自覚しています。ですが、現代詩のフィールドで勝負することにも意義を見出しています。先人が築きあげてきたものを引き継ぐのも、表現者の役目ではないかと思います。
『詩学』がなくなっても詩人はいますし、詩は生まれています。けれどもこの流れが続いていくと、そもそも詩を「買う」必要があるのか、というところにたどりつかないかと心配しています。統計を取ることはできないでしょうが、今、「詩を買う人」は「詩を書く人」とほとんど重なっているのではないか、と思うのです。詩集が一般の話題に上ることはあるでしょうか。詩を読みたいと誰かが衝動に駆られ、書店に探しに行くことはどれほどあるでしょうか。
詩人のためには詩を書かない、という決意はそういうところから出てきたものです。もし、歌舞伎をする人しか歌舞伎を見なくなったら。もし、シンクロをする人にしかシンクロの良さが伝わらなかったら。そう考えてみて、もし、詩人にしか詩の良さが伝わらなくなれば、とても恐ろしいことだ、と思いました。
詩の雑誌が減ることで、「詩人のための詩」の傾向は強まっていくのではないか、と心配しています。「ある雑誌」に載ることが詩人の条件だということになれば、なんと恐ろしいことだろう、と思います。
私はまだ詩を依頼れたことがない、ただの詩の好きな人です。ですので、詩人の方々とはまったく異なるとらえ方をしているかもしれません。しかし詩学の廃刊は、日本における詩の在り方について考えさせられることではなかったのだろうか、私のブログが埋もれてしまうぐらいに皆そのことについて触れてもいいのではないか、と思っています。
見当外れのことかもしれません。ですが、見に来られる方がいる以上、しっかりと書いておかねばならないと思いました。
posted by rakuha at 14:23|
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★雑記
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